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ジャイアント馬場

身長209cmという大きな体を活かし、人気・実力を兼ね備えたプロレスラーとして活躍したジャイアント馬場。プロレスラーになる前の職業は、プロ野球選手。読売巨人軍の投手でした。世界ヘビー級王座に3度輝くなど、レスラーとして大成功した"世界の巨人"の生涯

少年野球から高校野球までの活躍が実り、巨人軍に入団

病気と怪我に見舞われ野球人生を断念し、プロレスラーとして再起を図る

身長が209cmあります。そのため、相撲取りやヘビー級のボクサーにならないかとの誘いも受けました。野球選手としても身長は大きな武器となり、後輩である後の世界のホームラン王、王貞治氏が入団直後の練習で私と対戦した際には"入団していきなり馬場さんの球を打たされたが、1本も打てなかった。長身から投げ下ろす重いスピードボールに、これがプロの球なんだなと思った"と語ったほどです。
足腰の強さにも自信があります。実家の店の手伝いで、小学5年生の時から7年間、1日も休まず重いリヤカーを引いていました。また、体が大きいため大雑把に思われがちですが、ボール一つの差を投げ分けることができる微妙なコントロールも持っていました。

プロレスラーとしてデビューしたのちは、アメリカで武者修行を積み、世界王座を獲得したジャイアント馬場さん。力道山さん亡き後のプロレス界を同期のアントニオ猪木さんと共に支えました。
テレビ放映の問題で日本プロレス幹部と意見が食い違い、1972年に日本プロレスを辞めて全日本プロレスを旗揚げ。その後は経営者、さらには温厚なキャラクターでタレントとしても活躍しました。
レスラー全盛時代の年収が3億円を超えていたといい、同時期のプロ野球のスター、長嶋茂雄選手や王貞治選手の年俸が3000万円から4000万円であったのを考えると、そのすごさも際立ちますね。

ジャイアント馬場 1938‐1999

プロレスラー。本名馬場正平。新潟県生れ。三条実業高中退後、1954年投手としてプロ野球読売ジャイアンツに入団。その後大洋ホエールズを経て、1960年プロレスに転向し、力道山の門下に入る。1965年にインターナショナル・ヘビー級のチャンピオンとなる。1972年全日本プロレスを創設。その後も PWF や NWA ヘビー級チャンピオンとなり、アントニオ猪木と並んで日本プロレス界の大黒柱的存在として活躍。1993年4月、5000試合を達成。得意技は209cm の長身から繰り出す(16文キック)。

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