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クリストファー・コロンブス

大航海時代に活躍したイタリアの探検家であるクリストファー・コロンブス。マルコ・ポーロの"東方見聞録"にある、黄金の国・ジパングに惹かれ、未知の大海へと漕ぎ出した探検家の半生

航海士として経験を積み、大西洋を経由したアジア航海を企画

スペイン王室の援助を受けてアジア航海に出発し、アメリカに到達する

毛織物業を営んでいた父の仕事の手伝いで、地中海を航海するガレー船に乗り組んで経験を積みました。その後、20歳で士官になり、海戦にも参加するようになりました。21歳のときには、ナポリ王国の王位を巡る戦争で、スペイン北東部のバルセロナ攻撃に参加したほか、北アフリカのチュニスでスペインのガレー船を拿捕する戦果を挙げました。
航海士・地図製作者として成功を収めたのちは、幼いころからの夢でもあったインドへの新航路発見に挑戦しました。しかし、なかなか資金援助が得られず、船乗り向けに船の操縦法の図解を書いて生活費を稼ぎながら、約10年の歳月を経てようやく願いが通じ、インドへ向けて大西洋に乗り出すことができました。

一般的にアメリカ大陸を"発見した人"として語られることが多い、コロンブスですが、現在では、コロンブス以前にヴァイキングや、古代ポリネシア人がアメリカ大陸に到達していたとするのが定説とされています。また、コロンブスの生涯についても、"出自が明らかではない""大航海の目的自体があまり明確に語り継がれていない"など、謎とされている部分があります。
レオナルド・ダ・ヴィンチの日記の中に、"ジェノヴァ人の船乗りと地球について話す"という記述があることから、両者の間に面識があったのではないかとする説もあるそうです。

コロンブス 1451‐1506

イタリアの航海者。イタリア語名ではコロンボCristoforo Colombo で、Columbus は英語表記。ジェノバ生れ。大西洋を西航してインドに達し得ると考え、数学者トスカネリらの支持を得た。1492年スペイン宮廷の援助と総督の地位を得ることに成功、8月サンタ・マリア号など3隻の船でパロスを出帆した。10月バハマ諸島のグアナハニ島に上陸、そこをインドの一部と誤認し神に感謝しつつ(サン・サルバドル(聖なる救済者))と名づけた。
その後キューバなどに寄りながら1493年帰国。第2回(1493年―1496年)、第3回(1498年―1500年)と航海を重ねるが原住民の反乱に悩まされ、第4回航海(1502年―1504年)の際には総督の地位からはずされた。その後も宮廷は彼を重んぜず、彼は死に至るまでアジアの一部を発見したと信じつつ失意のうちに死んだ。コロンブスがアメリカ大陸から持ち帰ったとされるものに梅毒、タバコ、トウガラシなどがある。

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