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マリ・キュリー

女性初のノーベル賞受賞者、キュリー夫人ことマリ・キュリー。史上初めてノーベル賞を2度受賞した才女は、家事や家計のやりくりもこなし、2人の娘を育てた立派な母親でもあります。苦学の末に科学者として成功した偉大な彼女の人生

パリでの苦学生活と、運命の出会い

夫妻でのノーベル賞受賞から、パリ大学初の女性教授就任まで

ノーベル賞を得るまでは、金銭的に大変苦労しました。パリ留学時代は生活費に困る日々で、食事もろくに取れず、暖房も無かったため寒い時には持っている服すべてを着て寝るような生活でした。それでも働きながら貯蓄し、奨学金を全額返納しています。結婚後も研究費が自前だったため、やりくりは大変でしたが、科学への高い志を保ち続け、夫婦で助け合いながら精進しました。
また、ノーベル賞受賞のもととなったラジウム精製作業は気が遠くなるほどの時間と手間、そして資金がかかりましたが、私たち夫妻は成功を信じて地道に作業を続けました。
その結果が今につながっていると思います。私は今後も、どんな困難な状況におかれようとも、決して歩みを止めず、常に乗り越えていこうと思っています。

1903年に夫妻で、1911年には単独でノーベル賞を受賞したマリー・キュリー。1935年には娘夫妻も受賞しており、まさにノーベル賞一家。夫の後を継いだパリ大学教授職も彼女の後、娘が後を継ぎ、親子2代で科学の発展に貢献しました。ほかには"放射能"の名付け親でもあり、47歳の時にはレントゲン車を開発。技術者指導のため、自らフランス各地をまわりました。
あまたの苦労を乗り越えた"強さ"が、彼女の何よりの才能なのかもしれませんね。

キュリー 1867‐1934

フランスの女性化学者、物理学者。ポーランドのワルシャワに生まれ、1871年フランスに移り、パリ大学卒。1895年 P. キュリーと結婚。夫と協力してウラン鉱石中にラジウム、ポロニウムを発見(1898年)、1902年ラジウムの分離に成功、1903年夫と H. ベクレルとともにノーベル物理学賞。
1906年夫の死後あとを継いでパリ大学教授となり、金属ラジウムの分離に成功(1910年)、1911年単独でノーベル化学賞。ラジウム研究所の設立(1912年)に尽力、その指導者となり、第1次大戦中はラジウム療法による救護活動を組織。戦後は国際連盟知的協力委員会の委員を務めた。I. ジョリオ・キュリーは長女、(キュリー夫人伝)の著者エーブ・キュリーは次女。関連キュリー(単位)/関連キュリウム

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