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チャールズ・ダーウィン

"進化論"で有名な自然科学者、チャールズ・ダーウィン。ミミズやフジツボの研究でも功績があり、一流の地質学者でもあったダーウィン。母方の祖父は陶器メーカー"ウェッジウッド"の創設者であり、父方の祖父も高名な博物学者・医者という裕福な家庭に生まれた研究者の人生

幼少期から興味のあった博物学を学び、ビーグル号乗船のチャンスを得る

ガラパゴス諸島でのフィールドワークをもとに出版活動を始める

ビーグル号の航海でガラパゴス諸島を訪れたことが、私にとってのターニングポイントだったと考えています。後に私の最大の功績となった"進化論"のアイディアもこの航海中に得ましたし、科学者としての基礎を築いたのも、航海中に集めた標本のコレクションであり、フィールドワークの経験でした。
私は自らを地質学者だと思っていますが、"進化論"で後世に多大な影響を与えることができたほか、フジツボの分類、珊瑚礁の形成と分化、ハトの飼育品種の改良、ミミズによる土壌形成の研究など、生物学の各分野でも功績を残すことができました。地質学者であり生物学者でもあるのが、私の長所です。

"種の起源"を発表し、生物の進化について議論を巻き起こしたダーウィン。しかし、生物が進化するという説自体は彼以前にも存在しました。ダーウィンの祖父も"単純な生物が次第に複雑な生物に進化するのではないか"という考えを著しており、ダーウィン自身がオリジナルとは必ずしもいえないようです。
裕福な家庭に生まれた彼。年に150ポンドもあれば中流下層の暮らしができたという当時、父と叔父から、夫妻で900ポンドの支援を受けていました。さらに晩年には父や叔父の遺した財産の運用益で、年8000ポンドの収入があったとか。生活を気にせず研究に打ち込める幸せな環境にあったことも大きく作用したのでしょう。地質学や生物学など広範にわたって功績を残したダーウィン。

ダーウィン 1809‐1882

英国の博物学者で進化論の確立者。エジンバラ、ケンブリッジ両大学で医学や神学を学んだが、次第に博物学の研究に没頭。卒業後、英国海軍の測量船ビーグル号に博物学者として乗船。5年にわたって南半球を航海、動植物や地質を観測して(ビーグル号航海記)(1845年)を著した。またこの間に生物進化を確信するようになる。帰国後、家畜や栽培植物などを研究し、自然淘汰が進化の要因であるという結論に達する。
同じ見解に立つウォーレスの論文の入手を機に1858年ロンドンのリンネ学会に自然淘汰説を発表。翌1859年(種の起原)を刊行し、近代的進化論を確立した。彼の学説、特に進化要因論はダーウィニズムといわれる。他に(家畜、栽培植物の変異)など著作が多い。

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