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赤塚不二夫

"天才バカボン""おそ松くん"など、ギャグ漫画で名を成した漫画家 赤塚不二夫。藤子不二雄や石ノ森章太郎らとトキワ荘に住み、ともに切磋琢磨して漫画界の発展に貢献しました。"バカボンのパパ"や"イヤミ"など、個性的なキャラクターを次々と世に送り出し"ギャグ漫画の王様"と謳われた漫画家

手塚治虫に憧れて漫画家を目指し、"漫画少年"への投稿で注目される

第二次新漫画党とトキワ荘時代を経て、人気漫画家へ

トキワ荘時代は、漫画界全体を盛り上げるために、仲間たちと切磋琢磨し、良い漫画を描くために努力を続けました。トキワ荘を出た後も、有能なアシスタントたちに支えられ、漫画史に残る名作の数々を世に送り出すことができました。初めての出版契約も友人・つげ義春の仲介でしたし、トキワ荘時代には、先に売れっ子漫画家になっていた石森章太郎(石ノ森章太郎)のおごりで、浴びるほど映画を観ることができ、勉強になりました。
良き仲間、良きアシスタントに恵まれたため、たくさんのヒット作を描くことができたと考えています。

1975年にタモリと出会って以降は、ステージパフォーマンスに開眼した赤塚不二夫。"面白グループ"と名付けたグループを結成し、数多くのイベントを企画し、自ら出演もこなしました。漫画家としては異例の、テレビ番組の司会を行うなど、幅広い交友関係は漫画の世界にとどまらず、周りに集まった人々と公私にわたって"面白いこと"を追求しました。

赤塚不二夫 1935‐

漫画家。本名赤塚藤雄。旧満州生れ。手塚治虫の(ロストワールド)を読み漫画家を志す。新潟県四ツ谷中学卒業後、広告看板店勤務をへて上京、化学薬品工場で働く。19歳のころ石ノ森章太郎主宰の同人誌(墨汁一滴)に参加。1956年少女漫画(嵐をこえて)でデビュー。
その後、石ノ森の住むトキワ荘に移り、寺田ヒロオ、藤子不二雄らと交わる。1958年(ナマちゃん)を機にギャグ漫画に転身。チビ太・イヤミなど奇妙なキャラクターが生み出す破壊的な笑いを描いた(おそ松くん)をはじめ、(天才バカボン)(もーれつア太郎)などにより1960年代から1970年代にブームを巻き起こした。他に(ギャグゲリラ)(レッツラゴン)などがある。

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