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ガリレオ・ガリレイ

"地動説"を主張して裁判にかけられたことで有名な、イタリアの天文学者であり物理学者、哲学者でもあるガリレオ・ガリレイをピックアップ。地球が太陽の周りを回っているという、コペルニクスの地動説を支持したにとどまらず、落体の法則や木星の衛星、月のクレーターなどを発見しました。
教会裁判で有罪とされ、地動説を放棄する文章を読み上げさせられたのち"それでも地球は回っている"とつぶやいた信念の人の半生

大学中退後、家庭教師業を経て、大学の数学教授に就任

望遠鏡を自作し、天体観測を行った結果、地動説に行きつく

物体の運動の研究をするときに、実験結果を数学的に記述し分析するという手法を採用しました。それまで、このような手法はヨーロッパにはなく、自然科学の領域に大きな影響を与えました。
天文の問題や物理の問題について考えるとき、アリストテレスの説や教会が支持する説など、既存の理論体系や多数派が信じている説に従うのではなく、自分自身で実験も行い、実際に起こる現象を自分の眼で確かめるという方法を採りました。それが"地動説"の支持へとつながっています。

1616年の第1回異端審問所審査で、ローマ教皇庁から"以後、地動説を唱えない"ように注意を受けたガリレオ・ガリレイ。しかし、1632年に刊行した"天文対話"の内容が問題とされ、翌年開かれた第2回異端審問所審査で、有罪判決を受け、終身刑を言い渡されてしまいます。

ガリレイ 1564‐1642

イタリアの物理学者、天文学者。科学の方法を確立し、近代科学の父と呼ばれる。ピサの生れ。ピサ大学で医学を学ぶうち振子の等時性を発見。中退して力学を研究。1589年ピサ大学講師となり、物体の落下速度が重さに比例するというアリストテレス運動論の誤りを証明。スコラ派学者と論争し辞職。
1592年―1610年パドバ大学教授を務め、名声高く全欧から学生が集まった。動力学を研究し慣性の法則、落体の加速度が一定であること、弾道が放物線をなすことを明らかにし、1609年自ら望遠鏡(ガリレイ望遠鏡)を製作して天体を観測、木星の衛星、月の山・谷、太陽の黒点、銀河が星の集りであること等を発見、地動説を主張した。
1610年招かれてフィレンツェに移ったが、反対者が多く、1616年教皇庁から地動説の教授・宣伝を禁止された。1632年検閲を経て出版した(天文対話)が問題になり、1633年ローマに召喚され宗教裁判にかけられ、地動説を捨てることを誓わされた。以後フィレンツェ郊外で監視つきの生活を送りながら(新科学講話)を書き、トリチェリやビビアーニらを教えた。

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