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マハトマ・ガンジー

インド独立の父 マハトマ・ガンジー(ガンディー)。"非暴力、不服従"による独立運動を提唱し、植民地解放運動や人権運動における平和主義的手法として、後の世界に大きな影響を与えた政治指導者です。

果たしてその生涯

インドで弁護士事務所を開業するも失敗し、南アフリカへ

サティヤーグラハ闘争の開始とインドへの帰国

当時イギリス領だった南アフリカを、初めて訪れた際に受けた差別的な対応によって、それまで自分をイギリスの弁護士だと思っていた私に"インド人なのだ"という自覚が芽生えました。
現地は、白人優位の人種差別政策下。鉄道の一等車への乗車を拒否されたり、荷物もろとも放り出されたりなどの強烈な人種差別を体験。南アフリカの人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになったのが、後に繋がる政治的活動の原点です。南アフリカでの体験・経験が私を変えたと言えるでしょう。

実は、幼い時から"あがり性"だったというガンジー。ボンベイに初めて弁護士事務所を開いたときも、法廷に立った瞬間にあがってしまい、用意した尋問も満足にできなかったそうで、それが原因となり仕事の依頼が絶えたのだとか。
しかし、法廷弁護人として失敗しなければ、彼が南アフリカに行くこともなく、インド独立へ向けた活動も起こさなかったかもしれないと思うと、人生はわからないものですね。

ガンディー 1869‐1948

インドの政治家、建国の父。マハートマーMahatma(大きな魂)と呼ばれた。グジャラートに生まれる。両親は敬虔(けいけん)なヒンドゥー教徒で、幼時より宗教に親しんだ。13歳で同年のカストルバイと結婚。1888年英国に留学、弁護士の資格を取得して帰国。1893年商社の顧問弁護士となり、南アフリカに渡る。そこでインド人の差別虐待に抗議し、非暴力主義に立つ不殺生(アヒンサー)を基調とするガンディー主義に到達する。
ことに1913年ナタール州からトランスバール州へ敢行した(サティヤーグラハ行進)は全世界の共感を呼んだ。1915年までの22年間をほとんど南アフリカで過ごす。帰国後は労働運動やインド独立運動に従事し、国民会議派を強化した。1919年にはローラット法に反対して最初のサティヤーグラハ闘争を指導した。以後、1930年の塩専売法反対のための(塩の行進)等を指導し、しばしば投獄された。独立後も、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の融和に挺身(ていしん)したが、デリーで狂信的ヒンドゥー教徒に暗殺された。著書(自叙伝)(非暴力から生じる力)等。

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