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エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ

キューバ革命を成功に導いた"チェ・ゲバラ"ことエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ。アルゼンチンに生まれたチェ・ゲバラは南米を放浪するうちに社会主義と出会い、中米の島国キューバの革命に参加しました。
後のキューバ国家元首フィデル・カストロの実質的ナンバー2として革命を補佐した

ラテンアメリカ放浪後、医師免許を取得するも、再び国外へ

グアテマラ、メキシコでの生活の後、キューバ革命に参加

バイクで行った2度のラテンアメリカ放浪で、アメリカの資本家によって搾取され、彼らと結託した独裁者に苦しめられる、南米の人々の現状を学びました。特に2度目の放浪では、社会主義と出会い、南米各国の亡命者や活動家と知り合い、キューバ革命をはじめ、社会主義実現のために生涯を捧げました。
仕事面では医師としても働き、キューバ革命中も従軍医としての仕事も担当しました。
その他、反乱軍の根拠地に学校や靴工場、武器庫、ブリキ屋や鍛冶屋などをつくったほか、"自由キューバ"という名前の機関紙も発行するなど、さまざまな役割を担いました。

革命後は、キューバの貿易や文化、外交を進展させる目的で、世界中の国を訪れたゲバラ。1959年7月には日本を訪問し、自動車や飛行機、農業機械の工場を見学。池田勇人通産大臣と会談したほか、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れたそうです。
後にキューバを離れ、コンゴ動乱に参加したゲバラ。その後南米に戻ったものの、ボリビアで革命を起こそうとするも民衆から支持されず、政府軍側に捕まり、処刑されてしまいました。

ゲバラ 1928‐1967

キューバの革命指導者。アルゼンチン生れ。グアテマラ革命(1950年―1954年)に参加、のちカストロとともにキューバ革命を指導、国立銀行総裁、工業相として経済建設に尽力。1965年キューバを去り、1967年ボリビアでラテン・アメリカ革命を目指してゲリラ活動中殺害された。中南米革命運動のシンボルとされる。1997年遺骨がボリビアからキューバに戻された。

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