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ヘルマン・ヘッセ

小説"車輪の下"の作者、ヘルマン・ヘッセ。20世紀のドイツ文学を代表する作家のひとりですが、作家として成功するまでは書店員として働いたヘッセ。最初のヒット作"郷愁"を出版するまでの青年期にスポットを当ててみました。小説家として成功するまでの文豪の人生

神学校に入学するも学校生活になじめず、働きながら詩人を目指す

書店員をしながら執筆を続け、"郷愁"のヒットで人気作家へ

神学校はわずかな期間で辞めてしまいましたが、当時の経験や、若いころ得た感慨が、私の文学的資質の基礎になっていると思います。退学後は精力的に自分を磨きました。特に役立ったのは、父が祖父から受け継いだ膨大な蔵書です。
とりわけ18世紀のドイツ文学と哲学が充実していましたので、これを読みふけりました。16歳から20歳までの間には、大量の紙に作品の元となるような文章をびっしり書きつづりましたし、世界文学のおよそ半分を読み、美術史や言語、哲学にも取り組みました。退学による勉強不足を埋め合わせるには、十分だったと感じています。

"郷愁"で成功を収めたあとも、数々の名作を世に残したヘッセ。1946年には69歳でノーベル文学賞を受賞しました。2度の世界大戦や家庭生活への悩みからしばしば神経を病みながらも、第1次世界大戦後はスイスの湖畔の小さな村で執筆活動を続けながら、水彩画や園芸を楽しむという静かな生活を送りました。音楽にも多大な興味があったヘッセは、口笛の名人だったといいます。
アルプスの山々を望みながら口笛を奏でる詩人の姿が目に浮かびますね。学校は辞めたものの、その後社会に出てから学び続けたヘッセ。

ヘルマン・ヘッセ 1877‐1962

ドイツの詩人、小説家。牧師の子で、父母も祖父母もインドで布教に従事。神学校を中退、(詩集)(1902年)などで注目される。感傷的な青春小説(ペーター・カーメンツィント)(1904年、邦訳名(郷愁))で名を成し、(車輪の下)などの自伝的作品を書く。1911年インドなどを旅行。第1次大戦中公然と戦争を非難、ロマン・ロランと親交を結ぶ。1923年以降スイス国籍。(デーミアン)(1919年)から(シッダールタ)(1922年)、(荒野の狼)(1927年)にいたる諸作で、精神と自然の対立に悩む自己の内面をきびしく追求。
官能と精神の融合を描く(ナルツィスとゴルトムント)(1930年)の後、10年をかけた大作(ガラス玉演戯)(1943年)で精神のユートピアを描いて円熟調和の境地を示した。1946年ノーベル文学賞。日本でも昭和10年代以降一般によく読まれている。

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