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歌川広重

"東海道五十三次"の作者、歌川広重。浮世絵の代名詞とも言える"東海道五十三次"ですが、実は別バージョンがあるのだとか。オランダの画家ゴッホも模写をして学んだという、江戸時代の人気浮世絵師の半生は、

日本の浮世絵史にその名を刻む"東海道五十三次"を制作

36歳の時に発表した"東海道五十三次"は、遠近法の使用や、風や雨をリアルに感じさせる描写などの技巧面とともに、国内旅行すらも憧れであった当時の人々に、外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博しました。作品に取り入れた遠近法は、もともと西洋絵画から浮世絵師が取り入れた様式で、当時の最先端技巧です。
また、作品内で使う鮮やかな青色・藍色は、海外でも高く評価され、"ヒロシゲブルー"と呼ばれています。

"東海道五十三次"の発表で、風景画を得意とする浮世絵師として確固たる地位を築いた歌川広重。その後も、"冨士三十六景""六十余州名所図会""金沢八景"など数多くの風景画を残し、葛飾北斎や東洲斎写楽と並んで後世まで名を残す浮世絵師の一人となりました。

歌川広重 1797‐1858

浮世絵師。江戸八代洲河岸の火消同心の子として生まれる。姓は安藤氏。画号は一遊斎、一立斎など。歌川豊広に学ぶ。狩野派、南画、円山四条派(円山派、四条派)などにも学び、西洋画風をも取り入れた幅広い画風を形成。初め美人画を描いたが、葛飾(かつしか)北斎に刺激されて風景画に転向。1831年(東都名所)シリーズを版行、続いて名作(東海道五十三次)(保永堂版)を出し、風景画家としての名声を決定的なものとした。雪月花に装われた四季の景がしみじみとした旅情とともに描かれる広重の風景版画は、幕末のすさんだ世相の中で安らぎを求める庶民の共感を受けた。
(近江(おうみ)八景)(江戸近郊八景)(木曾街道六十九次)(名所江戸百景)などのほか、花鳥画にも名作を残す。ゴッホなどヨーロッパの画家にも影響を与えた。門人が2代、3代広重を襲名。

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