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伊能忠敬

全国を測量して"大日本沿海輿地全図"を製作し、日本史上初めて国土の正確な姿を明らかにした伊能忠敬。彼が製作した地図や使用した測量器具、関係文書など2345点は"伊能忠敬関係資料"の名称で国宝に指定されています。

算術を学び、伊能家の当主として家業と村の運営に携わる

家督をゆずって隠居し、暦学を学んで測量の旅に出る

幼いころより算術が得意で、隠居後には江戸に出て、古くからの暦法で基礎を身につけ、西洋の天文学を学びました。家業の経営で養った統率力、村を治めるために得た記録能力、師の下で身につけた高い測量技術など、長い時間をかけて培った、さまざまな能力があったからこそ、幕府から全国測量を命ぜられたと自負しています。

足かけ17年を費やし、全国を測量して回った伊能忠敬ですが、その成果である"大日本沿海輿地全図"が完成したのは、彼の死から3年後のことでした。幕府に献上された地図は明治期の皇居炎上で失われ、伊能家で保管されていた写しも、関東大震災で焼失したとされています。
しかし、2001年に、アメリカ議会図書館で写本207枚が発見され、その後も各地で発見が相次ぎ、現在では地図の全容がつかめるようになっているそうです。

伊能忠敬 1745‐1818

江戸後期の測量家・地理学者。通称三郎右衛門、のち勘解由(かげゆ)、号東河。上総(かずさ)国に生まれ、18歳のとき下総(しもうさ)佐原の伊能家の養子となり、酒造、米穀取引などに努めて家運を盛り返し、また名主として勤めた。1795年家業を退き江戸に出て幕府天文方・高橋至時(よしとき)に天文・暦学・測量を学び、1800年蝦夷(えぞ)南東海岸を測量、以後18年にわたって日本全国の沿岸を測量した。
日本全図の作製中に病死、弟子たちが業をついで1821年(大日本沿海輿地全図)(伊能図)と(大日本沿海実測録)を完成。忠敬の測量日数は3737日、測量距離は4万 km 近く、天体観測地点数は1203に及んでいる。

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