トップ » 勝海舟

勝海舟

明治維新の際、江戸城無血開城に貢献した幕臣 勝海舟。アメリカのペリー艦隊、いわゆる"黒船"来航の際、幕府に"海防意見書"を提出し、これが認められて以来、海軍でキャリアを積みました。
坂本龍馬の師匠でもあり、"日本海軍の父"とも呼ばれる明治維新の英傑

剣術と蘭学を修め、海防意見書によって世に出る

海軍畑で出世を果たし、幕府の代表として江戸城無血開城を成功させる

神戸海軍操練所時代には、塾頭を務めた坂本龍馬を筆頭に、後に外務大臣として日清戦争の終結に奔走した陸奥宗光や、初代連合艦隊司令長官となる伊東祐亨などを育てました。
また、当時は小さな漁村だった神戸に注目し、大きな船も入れる天然の良港であるため、神戸港を欧米との貿易拠点として日本の中枢港湾にすべしとの提案を行いました。

維新後は旧幕臣の代表格として、外務大丞、兵部大丞、参議兼海軍卿、元老院議官、枢密顧問官の各要職を歴任した勝海舟。勲一等旭日大綬章を受勲し、伯爵に叙せられました。
江戸城の開城交渉に際しては、江戸の町を焼き払う焦土作戦の準備を行い、西郷隆盛にゲリラ戦をほのめかして、提示した7つの条件を了承させたといいますから、かなりの敏腕ネゴシエーターだったのでしょうね。

勝海舟 1823‐1899

幕末・明治の政治家。名は義邦、のち安芳(やすよし)と改名。通称を麟太郎、安房守。海舟は号。旗本小普請組勝小吉の長男。蘭学・兵学を学び、長崎海軍伝習所に入る。1860年咸臨丸を指揮して太平洋を横断、アメリカ社会を見聞した。1863年神戸海軍操練所設立の許可を得、諸藩士、坂本竜馬ら脱藩浪士の教育にあたる。1864年軍艦奉行となるが同年免職、1866年復職して難航した征長戦を停戦に導く。
鳥羽・伏見の戦ののち海舟は徳川方軍事取扱として東征軍参謀西郷隆盛と会見し、江戸無血開城(江戸開城)を実現した。維新後は新旧両政権の事務引継ぎ、新政権への意見具申に努め、1872年海軍大輔就任、以後、参議兼海軍卿、元老院議官を務めるが、1875年辞任、10年余りを旧幕臣の生活救済などにあてる。1887年伯爵、翌年枢密顧問官となって活発な意見陳述を再開。清国との敵対、朝鮮への出兵に反対しつづけた。福沢諭吉の(痩我慢の説)による批判と、海舟の返答は有名。著書に、(海軍歴史)(陸軍歴史)(吹塵録)(開国起源)など旧幕時代の記録の編纂、談話筆記(氷川清話)などがある。

このページの先頭へ

高速検索リンク

このページの先頭へ

バナー

激安クラウド商品検索

「Webサイト構築セミナー」Movable Typeを使用して自社サイトを構築しよう!詳細はこちら。

書籍好評発売中「crema designの謎」

we-are-the-world ネットニュース menu

バナー

We-Are-The-World ネットニュースメールマガジン登録と解除

ホテルAPI検索

ファッションブランド

インターネット information

フードランド

ソフトウェア

歴史と文化

BBS

http://we-are-the-world.net/shopping/smart_search.php