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黒田官兵衛

2014年の大河ドラマの主人公でもある武将 黒田官兵衛。羽柴秀吉に仕え、天下取りへ向けた数々の進言を行った、戦国時代の天才軍師の半生

羽柴秀吉の参謀として活躍し、中国大返しで重責を担う

信長亡き後、参謀として秀吉の天下統一を補佐する

秀吉政権下での主要な築城(姫路城・大阪城・広島城など)に関わり、"築城の名手"として広く知られていたと自負しています。状況分析も得意で、常に大局を見据えた判断を行ってきました。
戦いにおいては説得によって敵を降伏させることを最優先にし、双方の犠牲を極力抑えるように考え、尽力しました。また、家臣を統率する身として"上に立つ者はどのように振る舞うべきか"を常に考え、行動しています。
"人には気の合う相手とそうでない者がいる"とし、相性だけで家臣のひいきをせず、"民こそ国の基"という原則に則って、領民を大切にしました。"人に媚(こ)びず。富貴を望まず"を公言し、不要になったものを家臣に売却するなど、倹約に努めました。

秀吉の前半生を支えた天才軍師・竹中半兵衛とともに、"ニ兵衛"として並び称された黒田官兵衛。互いに才能を認め合っていたようですが、2人がともに働いたのはわずか4年ばかり。荒木村重の謀反の際、"説得に向かった官兵衛が帰ってこないのは、寝返ったからだ"と信長に判断され、人質として預けていた息子が殺害されそうになりましたが、半兵衛は独断で密かに官兵衛の息子を匿いました。
しかし、官兵衛が助け出されたときには、半兵衛は36歳の若さでこの世を去っていました。官兵衛は半兵衛から受けた恩義を生涯忘れず、半兵衛の子どもが元服する際の烏帽子親を務めたそうです。

黒田如水 1546‐1604

安土桃山時代の武将。キリシタン大名。名は官兵衛孝高(よしたか)、洗礼名ドン・シメオン。初め小寺氏に属して小寺姓を名乗り姫路城にいたが、織田信長・豊臣秀吉に仕え、特に秀吉の謀将として中国征伐、九州征伐に従軍。1587年豊前(ぶぜん)中津城主として12万石を領す。
文禄・慶長の役に出陣。関ヶ原の戦で徳川方に属した。

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