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上杉謙信

戦のうまさから"軍神""越後の虎"と称された戦国武将 上杉謙信。内乱続きであった越後国を統一し、他国からの救援要請に応えて幾度となく出兵するなど、生涯のほとんどを戦に費やした戦国武将の半生

長尾家の当主を相続し、内乱状態にあった越後国を統一

宿命のライバル!武田信玄との"川中島の戦い"

私が生まれ育った時代は、いわゆる戦国の世。越後国の統一に始まり、信濃を巡って武田家と争い、関東一帯の支配権を懸けて北条家と戦うなど、生涯で数えきれないほどの合戦を体験しました。宿命のライバルである武田信玄とは、5度にわたり川中島で合戦となり、特に激闘であった第4次川中島の戦いでは、手薄となっていた相手本陣に自ら斬り込みをかけ、武田信玄へ3度にわたって切りつけ、肩先に傷を負わせました。
内政に関しては、衣料の原料となる青苧(あおそ)を栽培し、日本海ルートで全国に広め財源としました。領内の物産流通の精密な統制管理を行って利益を上げ、軍費の大半を通商で賄いました。

信玄の死後、武田家との抗争は収束したため、越中へと侵攻した上杉謙信。晩年は北陸に勢力を伸ばす織田信長と敵対し、生涯最後の戦となった手取川の戦いでは、柴田勝家率いる織田軍団を敗走させています。
第4次川中島の戦いでの上杉謙信と武田信玄の一騎打ちについては、諸説あるようですが、2人の直接対決は小説やドラマで戦国期の名場面として何度も取り上げられているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか

上杉謙信 1530‐1578

戦国大名。越後守護代長尾為景(ためかげ)の子。幼名虎千代。名は景虎、のち輝虎。1570年入道して謙信。1548年家督を継ぎ越後を統一。関東管領上杉憲政、信濃(しなの)の村上義清らに援を求められ、北条氏康、武田信玄と戦う。特に武田氏との川中島の戦は有名。1561年上杉氏を継ぎ関東管領となり、1573年越中(えっちゅう)を平定。織田信長との決戦を目前に病死。

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