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レオナルド・ダ・ヴィンチ

イタリアのルネサンス期を代表する芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチ。"モナ・リザ""最後の晩餐"を描いた画家としての名声が
もっとも高いのですが、科学、工学、解剖学など幅広い分野で功績を残した人物としても有名です。人類史上、最も多才な人物ともいわれるマルチな天才の半生

工房へ弟子入りし絵画を学び、世界最高峰の歴史的名作を残す

"モナ・リザ""最後の晩餐"など美術分野で優れた作品を残しました。さらには建築、音楽、科学、数学、工学、解剖学、地学、地誌学、植物学などさまざまな分野で、研究、実験、発明を行い、後世に多大な功績を残したと自負しています。
さらに、自動糸巻器、針金の強度検査器といったアイディアは実用化され、水圧ポンプ、迫撃砲、蒸気砲などの創案も作りました。

"飽くなき探究心"と"尽きることのない独創性"を兼ね備えたルネサンス期を代表する博学者レオナルド・ダ・ヴィンチ。その生涯には謎も多く、ここで紹介したエピソード以外にも諸説あります。
特に世界で最も有名な絵画作品といわれている"モナ・リザ"については、モデルや作品名が謎とされており、それゆえに現在に至るまで人々を魅了し続け、研究の対象となってきました。

レオナルド・ダ・ビンチ 1452‐1519

イタリア盛期ルネサンスの巨匠。トスカナ地方のビンチ村生れ。絵画、彫刻、建築のほか、自然学、工学、音楽など多方面に才能を発揮し、ルネサンス的な(普遍人)の理想の体現者といわれる。1466年フィレンツェに出て、ベロッキオの工房で絵画、彫刻を修業、師の(コレオーニ将軍騎馬像)制作に助手として参画し、(受胎告知)(1473年ころ、ウフィツィ美術館蔵)、(ブノアの聖母)(1478年ころ、エルミタージュ美術館蔵)などを描いた。
1482年ミラノに赴きルドビコ・スフォルツァに仕え、1499年まで滞在。この間、(フランチェスコ・スフォルツァ騎馬像)の制作に着手し、ミラノのサン・フランチェスコ聖堂のための祭壇画(岩窟の聖母)(1483年―1486年ころ、ルーブル美術館蔵)や、サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ聖堂に壁画(最後の晩餐(ばんさん))(1495年―1498年)を描いた。1500年―1507年再びフィレンツェで活動し、チェーザレ・ボルジアに仕えて軍事や土木事業に携わり、(聖アンナと聖母子)(1512年ころ、ルーブル美術館蔵)、(モナ・リザ)(1503年―1510年ころ、ルーブル美術館蔵)の制作に着手。その後、ミラノ、ローマで活動、1517年フランソア1世の招きでフランスのアンボアーズに行き、建築、運河工事に従事したが、2年後に同地で没した。自然学的研究は、数学、物理、天文、植物、解剖、地理、土木、機械(飛行機や戦車の考案)など多岐にわたり、これらに関する手稿((ウィンザー手稿)(マドリード手稿)(アトランティコ手稿)など)の類が諸方に残る。その芸術・科学・自然観を全体として評価することが求められている。

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