トップ » 前田利家

前田利家

"加賀120万石"の礎を築いた戦国武将、前田利家。若き日の織田信長に仕え、織田家と共に大きくなり、後に豊臣秀吉の下で、徳川家康と並んで五大老の一角を務めた戦国武将の半生

織田信長の小姓として戦国武将のキャリアをスタート

織田家の最前線で戦い続け、織田信長の死後は羽柴秀吉の傘下へ

"小谷城の戦い""長篠の戦い""比叡山攻め""本願寺攻め""加賀、長島の一向一揆"などなど、主君・織田信長の重要な合戦に参加し、約182cmという当時としてはかなり大柄な体格(当時の平均身長は157cm程度)を活かして、戦場で多くの戦功を挙げました。
私は、約6m30cmの長い槍を操ったことから"槍の又左"の異名を取り、"槍の名手"として知られています。

豊臣政権では五大老の一人として諸大名から慕われた前田利家。豊臣秀吉の死後、秀頼(秀吉の子)の後見人を務めるはずでしたが、利家は豊臣秀吉の後を追うように8カ月後に死去。対抗できる実力者がいなくなり、天下は徳川家康の下へ転がっていきました。

前田利家がもう少し長生きしていれば、"関ヶ原の合戦はなかった""徳川幕府は開かれなかった"などという人もいますが、それは歴史の"if"。とはいえ、それぐらいの影響力があった人物だったということなのかもしれませんね。

前田利家 1538‐1599

安土桃山時代の武将。通称犬千代。加賀(金沢)藩主前田家の祖。織田信長に仕え、桶狭間の戦をはじめ多くの戦いに功をたて、1575年越前府中城主となる。賤ヶ岳の戦では柴田勝家を離れ豊臣秀吉につき、加増され金沢に移る。五大老の一人。秀吉死後は秀頼を補佐。
なお子の利長は関ヶ原の戦で東軍に属し、所領を安堵(あんど)された。

このページの先頭へ

高速検索リンク

このページの先頭へ

バナー

激安クラウド商品検索

「Webサイト構築セミナー」Movable Typeを使用して自社サイトを構築しよう!詳細はこちら。

書籍好評発売中「crema designの謎」

we-are-the-world ネットニュース menu

バナー

We-Are-The-World ネットニュースメールマガジン登録と解除

ホテルAPI検索

ファッションブランド

インターネット information

フードランド

ソフトウェア

歴史と文化

BBS

http://we-are-the-world.net/shopping/smart_search.php