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伊達政宗

"独眼竜"の異名で有名な戦国大名 伊達政宗。豊臣秀吉や徳川家康といった戦国の覇者から伊達家を守り、スペイン国王やローマ教皇の元へ慶長遣欧使節を派遣した人物としても歴史に名を残す、戦国時代の英雄の半生

家督相続5年目、伊達家最大の領土獲得を達成

豊臣秀吉、徳川家康の配下となり、初代仙台藩主となる

若くして東北地方に一大領土を築きました。仙台開府の際には、のべ100万人を動員した大工事で全面的な開発を行い、江戸にも劣らない城下町を作り上げ、初代仙台藩主となりました。
藩主としては、北上川の流れを変える大工事を実施し、荒れ地を開発して新田を開かせるなど、藩の財政を豊かにするために尽力し、北上川水系の流域を現代まで続く穀倉地帯にしました。

伊達家の部隊に絢爛(けんらん)豪華な戦装束をあつらえさせ、上洛の道中では京都の住民も、その見事さに歓声をあげたと言われています。それ以来派手な装いを好み、着こなす人を指して"伊達者"と呼ぶようになったと伝えられています。

伊達政宗 1567‐1636

戦国末期~江戸初期の大名。陸奥(むつ)仙台藩祖。出羽米沢城主伊達輝宗の長子。1584年家督を継ぎ、二本松氏などを滅したのち、磨上原(すりあげはら)の戦で蘆名氏を破って全会津を制覇。その後も領土を拡張し、現在の浜通り地方を除く福島県、山形県置賜(おきたま)地方、宮城県、岩手県南部にわたる広大な地を勢力下に置いた。1590年小田原に参陣し、豊臣秀吉に会津ほかを没収されて黒川(会津若松)から米沢に移る。秀吉の死後は徳川氏に接近、関ヶ原の戦では徳川家康を助けて会津の上杉景勝と戦い、その功で刈田(かった)郡を与えられ、仙台藩62万石の礎を築き、仙台城下を開いた。
また宣教師ソテーロやビスカイノを招き、1613年慶長遣欧使節をローマに派遣。幼少のころ右眼を失明し、(独眼竜)として畏敬された。法名は貞山。1974年に行われた廟所瑞鳳殿(ずいほうでん)の再建工事に際して行われた調査によると身長は約160cm、同時代の日本人の平均で、独眼の証査は得られなかったが、これは天然痘による失明という伝承の裏付けともなった。

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