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マシュー・ペリー

鎖国していた日本に開国を迫った人物として有名なアメリカ海軍の軍人、マシュー・ペリー。帰国後に記した"アメリカ艦隊の中国海域および日本遠征記"は、大ベストセラーになりました。蒸気機関の採用や海軍における機関科士官制度の導入など、アメリカ海軍の改革者でもある軍人の生涯

海軍一家に生まれ、アメリカ海軍一筋の生涯を歩む

海軍少尉として任官後、地中海やアフリカ沿岸で海賊と戦い、奴隷をアフリカに帰す船団の指揮も執り、リベリア建国にも貢献しました。また、蒸気機関の採用や機関科士官制度導入、砲術改革、燈台の改良、士官および兵員の教育体系の整備など、アメリカ海軍の改革にも尽くしました。
そして、東インド艦隊司令長官に就任後は、外交官として日本開国に尽力しました。最初はアメリカの意志を先方に伝えるだけで一旦静かに身を引き、相手政府の中で賛否の議論が熟したころあいを見計らって、返答をうながす交渉術で日本を開国させました。しかも、1回目に訪れたときは、相手に警告を与えるのに十分だと思われる程度の兵力で行き、2回目に訪れたときは、手勢をすべて引き連れて、不退転の意志を示すという、二段構えの作戦でした。

日本では"開国させた人物"として有名なマシュー・ペリー。ところが、本国アメリカでは、米英戦争を勝利に導いた"エリー湖の湖上戦"を指揮したアメリカ海軍の英雄である、兄オリバー・ハザード・ペリーの方が有名だとか。

ペリー 1794‐1858

米国の海軍軍人。日本開国の先駆者。米国の最初の蒸気軍艦フルトン2世号の艦長などを経て1852年東インド艦隊司令長官に就任。1853年軍艦4隻を率いて浦賀沖に来航、フィルモア大統領の国書を提出して幕府に開国を迫った。一時退去したが1854年再び江戸湾にきて条約締結を要求、神奈川条約(日米和親条約)の締結に成功。帰国後、政府の委嘱で(ペルリ提督日本遠征記)を編集。
ペリーは当時のマニフェスト・デスティニー(アメリカ膨張主義思想)の体現者で、日本に欧米的キリスト教文明を及ぼすことが米国の歴史的使命だと確信、来日前には周到に日本についての調査研究を行っていた。関連ハリス

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