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平賀源内

多方面でマルチな才能を発揮し"日本のダ・ヴィンチ"とも称される平賀源内。発明家として有名な人物ですが、数々の事業を成功させた有能な事業家でもあります。
戯作の開祖とも言われており、人形浄瑠璃などに多くの作品を残していたり、源内焼などの焼き物を作成したりと、多彩な分野で活躍した江戸時代の天才の半生

本草学を学び、薬を展示販売する日本初の物産会を開く

数々の新製品を開発する傍らで、採掘・精錬技術を学び事業の幅を広げる

物産会を日本で初めて企画・運営しました。特に5回目となった"東都薬品会"では、出品物を、草木・鉱石・鳥獣・魚介・珍品など大幅に拡大し、出品希望者も全国から募集しました。さらに、日本一の飛脚問屋である、京屋弥兵衛の協力のもと、新しい流通のシステムも構築しました。
事業家としての活動のほかにも、採掘・精錬技術を学び、硝酸ナトリウムやコバルトなどを発見したり、寒暖計や万歩計、羅針盤などを独学で開発したり、エレキテル(静電気発生機)を修理して復元したりと、科学の分野においても日本初の功績を多く残しました。

"本日土用丑の日"という広告コピーを作って、"夏バテ防止のために土用の丑の日にウナギを食べる"という風習を作ったとも言われている平賀源内。ほかにも、歯磨き粉を販売するための曲の作詞作曲を手がけ、日本で初めてのCMソングも作ったのだとか。広告コピーを手がけて報酬を得ていたため、日本におけるコピーライターの"はしり"ともされています。

平賀源内 1728‐1779

江戸中期の科学者、戯作(げさく)者、浄瑠璃作者。名は国倫(くにとも)、号は鳩渓(きゅうけい)、戯号は風来山人(ふうらいさんじん)、福内鬼外(ふくうちきがい)など。讃岐(さぬき)高松藩の小吏の家に生まれ、1752年長崎に留学、1756年江戸に出て本草学を学ぶ。
物産会を開いて1763年(物類品隲(ひんしつ))を著し、エレキテル、寒暖計、火浣布(かかんふ)(石綿布)などを製し、鉱山発掘を計画し、油絵の洋風画も描いた。その間致仕浪人し、学問のかたわら談義本や浄瑠璃を執筆。多才にして世にいれられず、晩年生活が荒れ、口論から人を殺傷して獄死した。代表作(風流志道軒伝)(根南志具佐(根無草))(神霊矢口渡)など。

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