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福沢諭吉

ミスター1万円札 福沢諭吉。文明開化にまつわるイメージが強く、明治時代の人物だと思われがちですが、実は、幕末維新の英雄・坂本龍馬より1歳年上。慶応義塾の創立者としても有名な明治初期の教育家・思想家の生涯

オランダ語・英語の習得し、通訳として幕府に出仕する

明治新政府への出仕を断り、教育者・思想家として活躍

外国語が得意なことから、幕末には幕府の翻訳家・通訳として活躍し"コピーライト"を"版権"、"ポスト・オフィス"を"飛脚場"など、仕事を通じてたくさんの訳語を作りました。"動物園"の訳語も私の制作です。また、英語の"V"の音をあらわすため"ヴ"の文字を考案しました。
また、幕末に2度の渡米と1度の渡欧を経験し、西洋の制度や文化を日本に持ち込みました。銀行、特に中央銀行についての考え方や近代保険制度を紹介したほか複式簿記も日本に紹介。借方・貸方という語は私の訳によるものです。

幕末には旗本として幕府側で活躍した福沢諭吉。維新後に大久保利通から新政府での役職をオファーされましたが断り、在野で思想家・教育者としての啓蒙活動に専念しました。自ら立ち上げた新聞"時事新報"では、日本で初めて新聞紙上に天気予報を掲載。晴れや雨を表すイラストは、現在の天気予報で使用されている"お天気マーク"の元祖といわれています。
その他にも、乳母車や西洋式の手帳を持ち帰るなど、隠れた功績が多いのも福沢諭吉の特徴です。外国語が得意だったことを徹底的に活かした福沢諭吉の生涯。

福沢諭吉 1834‐1901

幕末~明治の洋学者、啓蒙家。豊前(ぶぜん)中津藩の下級武士の子として大坂藩邸に生まれる。1855年緒方洪庵の適々斎塾に学び、塾頭となったが、1858年藩命により江戸へ出、築地鉄砲洲に蘭学塾を開いた。一方、英学を独習し、1860年咸臨(かんりん)丸で渡米。1861年翻訳方として幕府遣欧使節に随行、1867年幕府の軍艦購入使節に加わり再渡米した。3回の欧米渡航により、近代文明をつぶさに見聞し、従来の和魂洋才的理解でなく、資本主義文明を、それを生み出した精神から理解しようとした。
明治維新のとき、蘭学塾を芝新銭座に移し、慶応義塾(慶応義塾大学)と名付け、明治政府への出仕を辞退し、民間にあって教育と著述に専念した。その思想は、西洋近代の文明によるアジアの後進性からの脱却、いわゆる脱亜論を説き、また個人の独立、自由、平等は天賦であるとして、儒学に代わる実学の必要を主張するものであった。(学問のすゝめ)(西洋事情)(文明論之概略)の3著作によって、明治初期の思想界に大きな影響を与え、(明六雑誌)(民間雑誌)に発表した多くの啓蒙的論文も大きな役割を果たした。
しかし、1882年には(時事新報)を創刊して官民調和を唱えたが、(尚商富国)の主張は(富国強兵)に連なるものであった。また、自由民権運動には批判的で、日清戦争には熱烈な支持を与えた。著作は(福沢諭吉全集)21巻に収める。1984年11月発行の1万円札(2004年11月改刷)に肖像を採用。関連福翁自伝

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