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樋口一葉

"5000円札の人"こと樋口一葉。日本で女性が紙幣の肖像に採用されたのは、123年振り2度目のことでした。近代以降、最初の女流職業作家である一葉ですが、小説家としてのキャリアはわずか4年。若くして肺結核で亡くなった女流作家の人生

幼いころから文学に親しむも、苦しい生活を送る

収入を得るため小説家に。その後、文壇で評価されるまでに成長。

父が残した借金もあり、母と妹の3人で貧困生活を余儀なくされた私。小説を書き始めたのも収入のためで、"萩の舎"の姉弟子が小説を書いて原稿料33円20銭を得たことがきっかけとなりました。お金を得やすい小説"通俗小説"の作法は、師である半井桃水から学びました。
私はもともと、和歌や王朝文学、習字を学んでいましたが、小説を書くようになってからというもの、自分がいかに物事を知らないかに気づき、以後上野にあった東京図書館へ通いつめ、知識の幅を広げるように努力しました。複数の新聞も図書館や知人から借りたり、一時は購読したりして読みました。こうした努力が、私の作品に活かせたのではないかと思います。

母と妹が内職をしたり、家族で店を開いたりするなど生活の苦労が絶えなかった樋口一葉。しかし、逆に生活苦が彼女に小説を書く動機を与え、貧困層の生活経験から代表作"たけくらべ"が生まれたことを思うと、それも無駄ではなかったのではないでしょうか。脚光を浴びるのと同時に肺結核を患い、24歳と6カ月の若さで亡くなったのはなんとも悲劇的

樋口一葉 1872‐1896

明治期の小説家。本名奈津。東京生れ。中島歌子の萩の舎塾で和歌、古典を学び、小説は半井(なからい)桃水の教えを受けた。文芸雑誌(都の花)(文学界)等に寄稿、1894年(大つごもり)を、翌年(にごりえ)(十三夜)(たけくらべ)などを書いた。森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨、また(文学界)の同人などに激賞されたが、1年半ほどでこれらの名作をものしたあと肺結核で没した。
(一葉日記)も評価が高い。2004年11月発行の5000円札に肖像を採用。

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