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徳川光圀

水戸黄門のモデルとして有名な水戸藩の第2代藩主 徳川光圀。江戸幕府の開祖・徳川家康の孫にあたり、"大日本史"を編纂し水戸学の基礎をつくった"天下の副将軍"の生涯

"史記"に影響を受け、"大日本史"の編纂作業に着手する

40年の歳月をかけた"大日本史"の本紀が完成

18歳のときに読んだ"史記"の影響を受け、初代の神武天皇から100代の天皇の治世を扱う紀伝体の史書の編纂事業を行いました。編纂作業のために設立した"彰考館"の史館員を、全国各地に派遣して史料調査を行い、修史編纂のほか史料収集の過程で立案された朝廷記録の編纂など、各種編纂事業に従事させました。
また、新しいものへの好奇心が人一倍強く、ラーメンをはじめ、餃子、黒豆納豆、チーズを日本で初めて食べたのは、私です。特にラーメンについては、麺の作り方や味付けを習い、自ら作って客人や家臣らにふるまいました。5代将軍徳川綱吉が制定した生類憐れみの令に反対し、牛肉、豚肉、羊肉なども食べましたし、鎖国政策中だったものの、オランダ製の靴下を使用したり、ワインを愛飲したりと、南蛮のものも試しました。
さらには海外から朝鮮人参やインコを取り寄せて育てました。

徳川光圀の生涯をかけた修史編纂事業は彼の死後も続けられ、光圀の甥にあたる水戸藩第3代藩主・徳川綱條(つなえだ)が"大日本史"の書名を名付けました。光圀の死の直前には、おおよそ完成していたとも言われていますが、その後も校訂作業や"志""表"の編纂が進められ、現在の形として完成したのは1906年(明治39年)。
光圀が史局を開局してから、248年の歳月を要しました。また、彼が設立した"彰考館"は、水戸学の発信地として、幕末の志士たちにも強い影響力を持ちました。

徳川光圀 1628‐1700

第2代常陸(ひたち)水戸藩主。水戸光圀、水戸黄門とも。水戸藩初代藩主頼房の三子。常山人、梅里と号。諡号(しごう)義公。水戸北郊の西山(せいざん)荘(現常陸太田市)に隠棲し、隠居後は西山隠士。藩主として勧農・藩政安定に努めた。彰考館を設立、朱舜水を招いて学者を育成、(大日本史)の編纂(へんさん)に着手し、水戸学の基礎を築く。神仏分離を推進して名社名刹には特別の保護を加え、那須国造碑(栃木県、国宝)など文化財の保存にも力を入れた。
(常陸国志)(礼儀類典)(水府系纂)等を編纂。光圀が(名君)として世間に広く定着したのは江戸末から明治期で、講談・実録本の流布、演劇化などにより虚構が拡大された。逸話を多く含む伝記(桃源遺事)や(久夢日記)などが実録本(水戸黄門仁徳録)(成立年未詳)に影響を与え、のちの各種の黄門諸国漫遊譚(まんゆうたん)につながった。
光圀自身の蝦夷渡航、また(大日本史)編纂のため、安積澹泊(あさかたんぱく)(通称覚兵衛。講釈では渥美格之丞、格さん)、佐々十竹(さっさじっちく)(通称介三郎。講釈では佐々木助三郎、助さん)が全国に史書を探求旅行した史実が核となって、漫遊譚の虚構はふくれあがったといわれる。

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