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俄 浪華遊侠伝

俄 浪華遊侠伝は、司馬遼太郎の歴史小説。幕末の?客・小林佐兵衛|明石屋万吉を主人公にし、主に大坂を舞台に庶民からの視線で幕末史を描く。

1965年(昭和40年)5月から1966年(昭和41年)4月にかけ「報知新聞」で連載され、66年に講談社から単行本全一巻が出版された。文庫版は1972年に講談社文庫から全一巻で刊行された(2007年からは上下二分冊されたものが発行されている)。なお、『司馬遼太郎全集』(文藝春秋)では13巻に収められている。

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タイトルの「俄」とは、作品の舞台となった当時に大坂の市中でもてはやされていた路上などで行う即興喜劇のこと。主人公の万吉が日本一の?客と呼ばれるようになった晩年、自身の人生を振り返って「わが一生は一場の俄のようなものだった」と語ったところからとられたものである。

祖父が明治初期に大阪でこの万吉が建てた家を買って餅屋を営んでいたことから、司馬はかねてより万吉という人物に親近感を持ち、本作を親しみを込めて書いたという講談社文庫『アームストロング砲』解説より。

司馬遼太郎 1923‐1996

小説家。大阪市生れ。本名福田定一。大阪外語大蒙古語学科卒。1943年学徒出陣。敗戦後、1961年まで(産経新聞)など新聞社勤務。1959年(梟の城)で第42回直木賞を受けた。(竜馬がゆく)(国盗り物語)などによって独自の〈司馬史観〉にもとづく歴史小説の新境地を開く。戦国、幕末、明治を舞台とする多くの歴史小説を残した。また、(街道を行く)などの歴史エッセーによって活発な近代文明批判、日本社会批判を行った。

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俄 浪華遊侠伝あらすじ

大坂江戸時代には「大坂」と「大阪」の表記が併用されていたが、維新後に現在使われている「大阪」に統一された。界隈で客「明石屋万吉」の名前を知らぬ者はない。早くに父が蒸発したためにわずか数え十一にして無宿人となって賭場荒らしを始めて任侠の道に入ったこの男の取り柄は、物怖じもせず賭場に押しかけて寺銭に掴みかかる度胸の良さと、殴られても蹴られても手にした銭を離さない我慢強さだった。特に腕っぷしが強いわけではないが、その胆力と辛抱の強さだけは誰にも負けず、たとえ半殺しの目にあっても決して根をあげない。たちまちその名は博徒の世界に轟き、元服を迎える頃にはいっぱしの「極道屋」として知られるようになった。極道者だが人倫に悖るような悪事はせず、己の信ずる任侠道に従って生き、思いつきでたびたび突拍子もない行動を繰り返しながらも、不思議な愛嬌で人を惹きつける男。悪徳商人と結託して米相場をつり上げる幕府役人にも臆せず立ち向かって堂島米会所|米会所を荒らし、苛烈な拷問にも屈せず幕府役人の根をあげさせて困窮していた貧民たちを歓喜させた際には、「万吉親方大坂ではやくざ者の親玉は「親方」と呼ばれ、江戸などで使われていた「親分」の呼称は明治以後に広まった。のためには命もいらぬ」という者まで群がるように現れた。さらに奉行所の不正を暴こうとした幕府の密偵の命を救って以後は役人にも顔がきくようになり、近隣の親方たちもこぞってその傘下へ入り、万吉は大客への道を歩み始める。

黒船来航から始まった幕末の騒乱は、年を経るごとに混迷の度合いを深めていった。天子を頂く京都では「尊皇攘夷」を叫ぶ志士|過激志士たちが市中を練り歩いて刃傷沙汰が横行し、市井の治安は乱れに乱れた。幕府は会津松平家の当主松平容保を京都守護職として任命して京の治安回復に当たらせ、同様に治安の乱れが及んだ大坂も諸大名に命じて警備を受け持たせた。播磨国|播州小野藩の小大名一柳氏|一柳家は大坂西部一帯の警備を命じられるが、わずか一万石の分限を超える大任に困じ果てた末、万吉の存在に目をつける。京では過激志士たちを取り締まる非常警察機関として会津松平家の下に新選組が組織されていたが、大坂の遊び人のほぼ半数を影響下に収める万吉の勢力を使って同様の警備部隊を発足させようというのである。万吉は士分に取り立てられ警備隊長の座に就くものの、一柳藩からは士分としての禄以外は何ら支給されず、大勢の隊士を養う費用は自腹で賄わねばならない。一柳藩の藩邸が治外法権となることに目をつけた万吉は、藩の施設で賭場を開いて活動資金をひねり出すことにする。御禁制の賭場を開くことに一柳藩は難色を示すが、とはいえ他に妙案があるわけでもなくやむなく警備隊が駐屯する番所で賭場を開くことを認める。かくして寺銭を活動資金とした博徒による珍妙な警察機関が発足するものの、やくざという者は普段大きな顔をしていながらいざとなるとだらしのないもので、過激志士に凄まれると悲鳴を上げて敵前逃亡してしまう者が後を絶たなかった。しかし諸藩の侍たちも負けないほど臆病で、藤堂家|藤堂藩の屯所で隊士が夢にうなされ、その悲鳴に驚いた他の隊士が雨戸を蹴破って残らず逃げ出すなどという珍事も起こった。徳川三百年の太平の中ですっかり惰弱になった士風に、万吉は徳川の世も長くはないかもしれないと感じる。

八月十八日の政変により京都政界を追放された攘夷志士たちの旗頭・長州藩は、その後も藩士たちを京へ送り込み失った政治的地位を回復しようと策動を続けていた。しかし、長州系志士が新選組によって斬殺される池田屋事件により、これに激昂した長州藩士たちが大挙挙兵する禁門の変|蛤御門の変が勃発する。長州軍はしばしの包囲の後市中へと攻め込み奮戦するが乱戦惨闘の末に敗退、総崩れとなって這々の体で京から遁走した。敗兵たちは大坂へもなだれ込み、大坂城代はこれらの残党を残らず斬り捨てるべく市中の警備部隊に厳命を下すが、ところが万吉のみは長州兵を殺さず捕縛し、その身を幕吏の目から匿った。手傷を負って逃げる長州兵を哀れんだ行動だったが、ほどなく幕府がその行動を嗅ぎつけ一柳藩に万吉の身柄の引き渡しの命が下る。一柳藩は困り果てた末に万吉を京に誘い出して身柄を新選組に差し出すが、万吉は辛うじて難を逃れて大坂へ戻った。幕府に殺されかけ一柳藩にも裏切られた以上もはや仕事を続ける義理など無かったが、大勢の子分を養うためには公認の賭場を開くことのできる今の奇妙な侍業を辞めるわけにはいかない。かといって幕府に言われるまま長州人を手にかけたくはない。どうしたものかと思案に暮れていると、たまたま市中の軒行灯に書かれていた「往来安全」の言葉が目に入り、万吉は咄嗟に頓悟する。「自分は往来の安全だけを考えればよいので天下の情勢など考える必要はない。気の毒なやつを見つければ長州人だろうと佐幕人だろうと助ければよい」と悟った万吉は再び元の鞘に収まり、幕府の厳しい目も一柳家の困惑も無視し、その後もそ知らぬ顔で長州人たちを匿い、逃し続けた。

そのようにして数年の月日が流れた。圧倒的な力を誇った幕府も次第に討幕派に押され、徐々に往事の力を失っていった。そして薩摩藩が仇敵だった長州と手を握り、薩長同盟が成立したことで政情は一変する。佐幕派の雄だった薩摩が離れたことで幕府は決定的に力を無くし、ついに将軍徳川慶喜|慶喜は大政奉還を表明し、政権を朝廷に返上することを宣言する。大政奉還の真意は政権を返上することで朝敵の汚名をそそぎ、引き続き旧幕勢力が新政権に参画することにあった。しかし薩長の策動により旧幕勢力は新政府から閉め出されることとなり、激昂した幕軍と倒幕軍が激突して鳥羽・伏見の戦いが幕を開ける。諸大名達が幕軍につくか倒幕軍につくか去就に迷う中、一柳藩は数で圧倒的に勝る幕軍に味方することを決め、万吉も子分たちを引き連れて従軍することとなる。しかし急場の寄せ集めで作った幕軍は明確な指揮系統すら確立されておらず、兵員も幕臣は士官のみでそれ以外は徴募した町人ばかりであり、それに引き替え幕末の動乱を生き抜いて鍛えられた精兵からなる倒幕軍は寡勢ながらも精強であった。緒戦は幕軍にやや優勢に進んだものの、やがて薩摩の宮廷工作により錦の御旗が上がった。朝廷が薩軍を官軍と認定したことによって幕軍は賊軍となり、動揺した幕軍はこれがきっかけとなって一時撤退することとなる。錦旗の掲揚はすべてを変えた。諸藩の大名たちは次々と官軍に恭順し、幕軍は潰乱させられ戦略的撤退が完全な敗走となった。万吉は生き残った子分たちにめいめい大坂へ帰るよう命じて部隊を解散し、自身も負傷者を担いで命からがら大坂へ帰還した。

鳥羽・伏見の戦いは幕府の大敗に終わった。錦旗の力により官軍となった倒幕軍は京を制圧し、ついで大坂もその施政下に置き、旧幕関係者の調査・審問を始めた。官軍の役人の多くはかねて京・大坂で志士活動をしていた者たちであるため幕府役人に怨みを持っており、その取り調べは申しわけ程度の審問をした後にすぐさま首をはねてしまうという強引なものであり、いわば革命裁判であり復讐劇というべきものであった。幕府役人達はすでに皆大坂を逃げてしまっていたが、万吉と同じように幕府から警備仕事を請け負っていた親方衆は残らず出頭を命ぜられ、ことごとく斬首された。最初に警備部隊を作った万吉にも出頭命令が下るのは時間の問題であり子分たちは逃亡を薦めるが、万吉は「名声がすたる」「死ぬことが家業」と応えるばかりで耳を貸さなかった。そしていよいよ万吉も長州藩の陣屋に引っ立てられ斬首を言い渡されるが、すんでの所でかつて蛤御門の変の際に身を匿った長州藩士に命を救われる。身体の頑丈さが取り柄のこの男も首を切られては元も子もなかったが、危ういところで首がつながり一命を取り留めることとなった。

維新により世情は一変した。万吉の頭も丁髷をやめて七三頭に変わったものの、その行動の根っこは旧幕時代と何ら変わりはない。相も変わらず明日はどこで何をしているのかわからぬとりとめもない行動ばかりする万吉を、女房の小春は「亀山のちょん兵衛はん」と評した。人形がぴょんぴょん飛び跳ねる仕掛けを施した玩具のことで、跳んだりはねたりするばかりで落ち着かず、様々な騒動が入れ替わり立ち替わり飛び込んできて息をつく暇もないという意味である。毎日のように妙な人間が万吉を訪ねて来ては、妙な騒動を持ち込んでくる。置き場に困るほど札束が舞い込んで来たかと思えば、餓死寸前にまで貧窮することもある。万吉自身も後年に己の人生を振り返って「わが一生は一場の俄のようなものだった」と述懐するが、この男が求めるのは空虚で枝も根もない「男伊達」のみであり、その一場の夢が手に入ればそれで満足だった。実際、金持ちになろうと貧乏になろうと子分だけはどんどんと増えていった。

この男の人生はさながら一場一席の即興喜劇のように、快活にそして慌ただしく過ぎていった。明治の半ば、一の子分の天満の軽口屋が死の床に就いた時、万吉はその枕頭で「おまえの俄も済んだか。おれもじきに往くでえ」と、永年連れ添ってくれたこの子分をいたわった。しかしこの男は体が特別頑健にできているのかその後もなかなか死なず、大正の半ばになってようやく人並みに死を迎えた。辞世も遺言もなく、「ほなら、往てくるでえ」と口にしたのを最後に九十近い高齢で大往生を遂げた。駅から汽車が出てゆくような、そんな陽気さだった。

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俄 浪華遊侠伝主な登場人物

小林佐兵衛|明石屋万吉:本作の主人公。父・明井采女は元は徳川家に仕える歴とした旗本であり、徳川家斉|将軍家斉の内命を受けて隠密となって大坂の高級幕吏の調査をしていたが、その最中に家斉が死に、復命が叶わず浪人となって落魄する。その後明石家五平という質屋の養子となって町人になり摂津国北野村の百姓娘を娶って万吉を生むが万吉が数え十一の時に突然蒸発、万吉は残された母と妹のために家を飛び出して無宿人となり、年少の身ながら賭場荒らしを始めて任侠の世界に入る。余人にない度胸の良さと辛抱強さで、「度胸の化け物」「不死身の万吉」などと呼ばれてたちまち博徒の世界で頭角を現し、名を知られるようになる。

寡黙で無愛想な性格だが愛想の悪さの中に奇妙な愛嬌があり、人を惹きつける不思議な魅力になっている。押し黙った顔の底に熱い義侠心を秘め、人倫にもとる非道はよしとせず、賭場を開くこと以外はこれといった悪事もせず、己の信ずる任侠道に従って生きることを信条としている。無鉄砲な性格で、探索する際にも我が身をさらして自分を餌にする無茶な方法をとることが多く、また頼み事を引き受ける時は内容まで聞かずに最初に否か応かを明言することが任侠の作法だと考えており、そのため無用の騒動に巻き込まれることも多々ある。

遊侠の徒でありながら読書が好きでそれなりの教養もあり、下手ではあるが漢詩を作ることもできる。神道無念流の剣術を習って居合の稽古を毎朝の日課とし、相当の腕前を持つ。女には淡泊で、体質的に酒が飲めず、博打も上手くない。金離れがよく、経済感覚が欠落しているのかと思えるほど野放図に金を使い、女房の小春に常々愚痴を言われている。明治後は、かつて助けた堂島の米商人磯野小右衛門の取りなしで米相場で成功して財産を築くも、儲けた金をそのまま財政難の大阪府から頼まれた消防隊の創設や老人や非行少年のための福祉施設を開設に野放図に使い、多額の負債を抱えたりもした。

大坂市中の警備隊結成の折に一柳藩に上士待遇の足軽頭として迎えられる。「小林佐兵衛」という武士としての名乗りは適当に決めたもので、深い意味はない。幼い頃に自分と家族を捨てて逃げた父には好意を持てず、父の姓は名のろうとしなかった。

小左門:曾根崎の芸妓。家を出て無宿人となったばかりの少年時代の万吉を一晩保護したことがきっかけで万吉と不思議な縁で結ばれることとなり、芸妓を引退した後に万吉の家の向かいに住んで小唄や三味線を教える師匠になり、さながら姉のように万吉の世話を焼くこととなる。

:元々江戸から流れてきた女で、江戸から赴任してきた幕府役人のお座敷に呼ばれることが多かったため、自然と政治向きの話題に明るくなった。話の聞き上手で、折に触れて万吉の相談を受け、随所で的確な質問を返して万吉の知恵を引き出させるのが上手い。

万吉とは一度だけなりゆきで情交を結んだことがあるが、年が十四も離れている姉弟のような間柄であり、万吉自身が女に淡白なこともあってそれ以上の関係になることはなかった。

天満の軽口屋:万吉の一の子分。天満に住む異様におしゃべり好きな男で、黙っていることができずに常に口を開いて何かしら軽口を叩いている。とはいえ守らねばならない秘密に関しては口は堅く、万吉もいろいろと相談を持ちかけることがある。万吉の子分になる以前から博徒仲間の間で知恵者として知られ、一柳藩から依頼された警備隊の資金に悩んでいた万吉に賭場を開いて資金を稼ぐことを勧めた。

本名は不明で「勘左衛門」という名前があるという話もあるが定かではなく、誰も本名で呼ぼうとしない。背中に屹立する途方もない大男根を描いた刺青をしている。

万吉が維新後に犯罪者の更生施設を作った際に時計作りを習い、その後腕の良い時計職人として成功した。明治の半頃、万吉に先立って息を引き取る。

小春:万吉の女房。西宮の旅籠で酌婦をしていたが、不逞浪士を追って西宮に来た万吉に見初められて女房に迎えられた。おっとりとした穏やかな性格で、万吉が常々思いつきで起こす突拍子もない行動に振り回されて困惑させられるものの、たびたび愚痴を口にしながらも内助の功で夫を支え続けた。

遠藤謹介:長州藩の志士。蛤御門の敗戦で大坂に逃れてきた際に万吉の警備部隊に捕縛されるが、万吉に匿われて一命を取り留め、長州に帰国する。維新後、万吉が官軍に拘束され斬首を言い渡された際に、すんでのところで刑の執行をやめさせ万吉の命を救った。維新後は新政府に仕え、明治初年には造幣局の局長を務めた。

木戸孝允|桂小五郎:長州藩の指導者の一人。かねてより京都藩邸に駐在して政治工作に奔走していたが、蛤御門の変の長州軍の敗戦で逃走せざるを得なくなり、幕吏の探索の目から身を隠して諸国を流浪する。潜伏から八ヶ月後に長州へ帰るための決死の旅を決断し、船に乗るため大坂に足を踏み入れたところを万吉の警備部隊に捕縛されるが、万吉は商人に変装した桂を長州藩士と見抜きながらも見逃して船に乗せた。桂は無事長州へ帰り着き、明治後この桂を救ったことが万吉と子分たちが無罪放免となる重要な要因となった。

大石鍬次郎:新選組隊士。「人斬り鍬次郎」と渾名され人を斬る時も顔色も変えないほどの男だが、万吉の気っぷの良さと度胸の良さには感心し、その意気に呑まれたような格好で奇妙な好意を抱いた。

磯野小右衛門:堂島の米問屋・大文字屋の旦那。名相場師と名高く、「相場の神様」ともいわれるほどの見識の持ち主で、その先見の明の鋭さは維新の数年前から幕府の瓦解を見越して長州藩士たちと渡りをつけていたいたほどのもの。

万吉にはかつて堂島の米相場での騒動に加えて、幕吏に長州との関係を疑われて捕縛された際に釈放して貰った旧恩があり、維新後に賭場を開くのをやめて窮迫していた万吉を救おうと米相場で稼ぐことを薦め、万吉はこの磯野の的確な指導で大きな財産を築くこととなる。

渡邊昇|渡辺昇:江戸の練兵館|斉藤弥九郎の道場で剣術を学んだ肥前国大村藩出身の藩士で、塾頭だった桂小五郎に兄事して尊皇攘夷思想に開眼し、志士活動を始める。帰藩した後に藩の方針を長州と共に合わせることに尽力し、薩長同盟締結の際には土佐国|土佐の坂本龍馬を助けて奔走した。

明治後は新政府の諸官を歴任した後に大阪府知事に就任し、米相場で財を成した万吉を言葉巧みに刺激して消防隊や福祉施設の開設に金を使わせた。財政難の府からはびた一文金を出さず、逆に財産を使い果たすほど万吉に金を使わせる人間的迫力があり、後年この渡辺が退任した後に別の男が知事になった際に、万吉は知事の器が小粒になったことを嘆いた。

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俄 浪華遊侠伝映像作品

連続ドラマ『俄-浪華遊侠伝-』TBSテレビ、1970年。ドラマは小左門の過去を振り返る思い出話の形式で展開され、小左門役の藤村志保が出演と同時にナレーションを担当している。放送批評家賞(ギャラクシー賞)第14回期間選奨受賞作。

1970年7月16日から同年10月8日まで、毎週火曜日夜22時00分~22時56分に放映。全13話。

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俄 浪華遊侠伝スタッフ

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俄 浪華遊侠伝関連作品

『侠客万助珍談』『オール讀物』1964年(昭和39年)6月号に発表。本作の前身ともいうべき短編小説で、本作同様万吉を主人公としているが、主人公の名前が「鍵屋万助」となっている。講談社文庫『アームストロング砲』(ISBN4-06-274932-7)に収録。

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