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千利休

千利休 現代の茶道に通じる"わび茶"を大成させた、安土桃山時代の茶人、。織田信長・豊臣秀吉という2人の天下人に仕え、今井宗久・津田宗及と共に"茶湯の天下三宗匠"と称された茶人の生涯

織田信長、豊臣秀吉に仕え、"わび茶"の普及に努める

豊臣秀吉の茶頭として、天下にその名を知られ、秀吉の側近として、政治的にも重要な役割を担いました。その際、主人と客がお互いを尊敬しあい、おごらない気持ちで接するという"和敬静寂(わけいせいじゃく)"の考えの下、秀吉らとも、"対等の立場"を守ろうとしました。
また私は、簡素簡略を旨とする"わび茶"の完成と普及を生涯の目標としてきましたが、私が仕えた豊臣秀吉は"黄金の茶室"に見られるように、とても派手好みな人でした。そのため、意見が対立することも少なくありませんでしたが、信念を貫き通した芯の強さが私の長所だと思っています。

天下人・豊臣秀吉の茶頭になり茶人の頂点に立った千利休。しかし、1591年に豊臣秀吉から切腹を命じられ、この世を去りました。"わび茶"を大成させ、現代の茶道の礎を築き、その後の日本の文化に多大な影響を与えました。

千利休 1522‐1591

安土桃山時代の茶人。茶道(ちゃどう)の大成者。千家流(三千家)の開祖。堺の生れ。通称与四郎、宗易と号す。晩年は不審庵とも号した。初め茶の湯を北向道陳に学び、のちに武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事。織田信長に仕え豊臣秀吉に重用された。1585年秀吉が禁中茶会を催した際に利休居士という号を与えられ天下一の茶人の地位を確立し、1587年北野大茶湯をつかさどった。
草庵風の茶室を完成し茶道を民衆の生活のなかに根づかせた。1591年秀吉の怒りにふれ切腹を命じられた。大徳寺に自像を置いたためなどとされるが、原因については定説がない。

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