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西郷隆盛

明治維新の立役者の一人、西郷隆盛。進歩的な藩主・島津斉彬のもとで才能を磨き、圧倒的な人望と卓越した政治手腕で明治維新の中心人物として活躍するも、失脚し下野。その後、西南戦争を起こし敗北、そして自害。幕末維新時代の功績はゆるぎないものの、明治新政府発足後の評価はいまだ定まらない英雄の生涯

敬愛する師・島津斉彬との出会いと波乱の前半生

明治維新を達成し、新政府で活躍するも征韓論争に敗れて下野

蒸気船の製造、汽車の研究、製鉄用溶鉱炉の設置、大砲製造用反射炉の設置、小銃の製造、ガラスの製造、ガス灯の設置、紡績事業、洋式製塩術の研究、写真術の研究、電信機の設置、農作物の品種改良。
藩主・島津斉彬の改革で薩摩藩はこれらの近代化にいち早く取り組みました。私は庭方役として斉彬の改革に間近で接し、維新の中心として活躍する土台を作ることができました。
岩倉使節団の欧米視察中には留守内閣を率い、警視庁の元となる"東京府邏卒"の採用、各県に府県裁判所を設置、田畑永代売買解禁、学制の発布、散髪廃刀の自由、切り捨て・仇討ちの禁止、キリスト教解禁、国立銀行条例の制定、太陽暦の採用、徴兵令の布告、華士族と平民の結婚許可、地租改正の布告などの改革を実行しました。すべてが私一人の功績ではありませんが、思い切った改革を指揮できたのは、私の功績の一つだと考えています。

近代日本の礎を築いた英雄のひとり、西郷隆盛は実は大の写真嫌い。明治天皇が西郷の写真を欲しがったときでさえ断ったほど。しかも、有名な肖像画も正確には本人ではないといいます。西郷が死んだ翌年に、イタリア人銅版画家が、人から聞いた特徴と、弟の西郷従道やいとこの写真を参考にして描いたもの。作者は西郷隆盛の顔を見たことがなかったそうです。
生涯に2度の自害を考え、最後も戦いに敗れて自害という波瀾万丈な人生を送った西郷隆盛。

西郷隆盛 1827‐1877

明治維新の指導者。薩摩鹿児島藩の下級士族の出身。通称を吉兵衛、吉之助、号は南洲。藩主島津斉彬(なりあきら)に取り立てられ江戸詰となり、将軍継嗣問題で一橋慶喜擁立運動に東奔西走するが、井伊直弼大老就任とともに始まる安政の大獄で幕吏の追及を受け、僧月照とともに帰藩した。しかし佐幕論に傾いていた鹿児島藩からも追われ、1858年月照と投身自殺を図ったが助かり、奄美(あまみ)大島に流された。1862年許され尊攘派(尊王攘夷(じょうい)運動)として動き出したが、島津久光にきらわれ沖永良部(おきのえらぶ)島に流された。
1864年帰藩後は禁門の変、第1次長州征伐には藩論を統一し幕府側に立ったが、第2次長州征伐には反対し討幕派へと転じた。
大久保利通などとともに王政復古に働き、戊辰戦争を主導し征東軍の大総督参謀として勝海舟と会見、江戸城を無血開城させた。明治政府では参議となり廃藩置県を断行したが征韓論に敗れて帰郷、私学校を開き、西南戦争を起こし敗れて城山で自刃した。

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