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愛新覚羅溥儀

清(しん)国最後の皇帝である愛新覚羅溥儀。第2次世界大戦中、日本軍によって満洲国皇帝の地位を与えられ、清国復活を夢見たものの、日本の敗戦でソ連の捕虜に。
その後中華人民共和国へ身柄を移され、政治犯収容所に収監されるという激動の生涯を送った"ラストエンペラー"の半生

第12代清朝皇帝に即位するも、清国が滅亡し退位

日本の後押しで念願の"満洲国皇帝"に即位する

宦官(かんがん)による美術品の横領を一掃することを目的に、美術品が多く置かれていた紫禁城内の"建福院"の目録一覧を作成しました。しかし、目録作成直後、横領の証拠隠滅を図ろうとした一部の宦官らが"建福院"に放火。これに対し、私は中華民国政府の力を借りて、約1200名いた宦官のほとんどを一斉に解雇し、国民やマスコミから称賛を受けました。

その後も女官を追放するなど、紫禁城内の経費削減と近代化を推し進めました。また、慈善活動にも力を入れ、中華民国内における洪水や飢饉(ききん)、さらには生活困窮者の支援のために、多くの義援金を匿名で送りました。
1923年に日本で起きた関東大震災の際には、即座に日本政府に対し義援金や紫禁城内にある膨大な宝石などを送りました。

第2次世界大戦の終結後、新たに建国された中華人民共和国で"戦犯"として政治犯収容所に、弟の溥傑や満洲国の閣僚らとともに収監された、愛新覚羅溥儀。しかし、1959年に当時の国家主席・劉少奇の出した戦争犯罪人に対する特赦令を受け、模範囚として特赦となりました。
周恩来首相と中南海で会談し、釈放後の将来について話し合った結果、一般市民の生活に慣れることを目的に、周恩来の薦めで中国科学院が運営する、北京植物園で庭師として勤めるようになりました。

皇帝として育った溥儀は、時代の激流に翻弄される中で、自らのポジションを求めて悩み、試行錯誤を続けました。

溥儀 1906‐1967

中国、清朝最後の皇帝(宣統帝)。姓は愛新覚羅(あいしんかくら)/(アイシンギョロ)。1908年3歳で即位。辛亥(しんがい)革命で1912年退位。皇帝の称号と年金を受けた。
1924年馮玉祥(ふうぎょくしょう)のクーデタで紫禁城を脱出し、日本の保護を受けた。1932年満州国執政、1934年皇帝となり、終戦と同時にソ連に抑留された。1950年中国で戦犯として裁かれ、1959年特赦の後は、一市民として余生を送った。著書(わが半生)。

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