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沢村栄治

プロ野球・伝説の大投手、沢村栄治。毎年球界最高の投手に与えられる"沢村賞"にその名を残す天才ピッチャーですが、プロ野球選手としての実働はわずか5年。27歳の若さで戦死した悲運のエースの人生

大リーグ選抜相手の快投で注目され、巨人軍の創設メンバーとなる

巨人軍で輝かしい活躍をはたすも、従軍によって選手生命を断たれる

幼い頃から野球に取り組み、甲子園にも出場しました。巨人軍のアメリカ遠征時にチーム監督からのアドバイスを受け入れて、投球フォームを改善したのが後の活躍につながったと思います。具体的には、体のバネを上手く使えるようになり、より速いボールを投げられるようになりました。
2度徴兵され、従軍して肩を痛めたのは不運なできごとでしたが、肩への負担を減らすためにサイドスロー、次にアンダースローへと転向して野球を続けました。いかなる状況でも野球への情熱を持ち、ベストを尽くす姿勢が、私の最大の長所だと思っています。

沢村栄治は引退後3度目の徴兵を受けた後、乗船していた輸送船が撃沈され、戦死します。
プロ生活5年で通算63勝22敗、防御率1.74。最多勝2回に最多奪三振2回のほか、プロ野球初のノーヒットノーランなど多くの業績を残した沢村栄治。1947年には沢村がつけていた背番号"14"が史上初の永久欠番になるとともに"沢村賞"が制定されました。記録にも記憶にも残る世紀の大投手として今も語り継がれています。

沢村栄治 1917‐1944

プロ野球選手。三重県出身。1934年京都商業在学中、来日した米大リーグ選抜チームと対戦する全日本選抜チームの投手に選ばれ好投した。以後日本最初のプロ野球チーム大日本東京野球倶楽部(東京巨人軍とも)のエースとして活躍、1937年のリーグ戦では24勝4敗、防御率0.81の成績をあげ、初の最高殊勲選手となった。
日中戦争で戦死。業績をたたえて1947年に読売新聞社が(沢村賞)を制定、毎年、投手のうちペナントレースでの成績内容・技量の最もすぐれた選手を表彰している。

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