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クララ・シューマン

ドイツのピアニストで作曲家のクララ・シューマン。19世紀において最も名の通ったピアニストの1人であり、ドイツマルク紙幣の肖像にもなった女性です。
ショパンに"僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性"と絶賛された天才ピアニスト

幼いころからピアニストとして活躍。12歳で処女作の作曲

幼いころからピアニストとして認められ、ショパンをはじめ、リストやメンデルスゾーンといった音楽家たちと交流を深めました。特にオーストリア皇帝フェルディナント1世からは"天才少女"と呼ばれ、オーストリアでもっとも栄誉ある"王室皇室内楽奏者"の称号をいただきました。これは、外国人女性としては、前例のない名誉なことでした。
また、当時は女性が作曲家になることが世間に認められておらず、女性というだけで正当な評価をしてもらえないなど苦労しましたが、ピアノ曲を中心に歌曲なども作曲しました。

21歳のときにロベルト・シューマンと結婚したクララ・シューマン。結婚後もピアニストとして演奏会に出演して家計を助け、ロマン派を代表する作曲家の夫を、公私にわたって支えました。夫の死後は、ピアニストやピアノ教師を
して7人の子どもを育てました。また、夫妻の共通の友人であったブラームスの良き理解者として、彼を支えました。ブラームスは作品が出来上がると真っ先にクララに見せ、彼女が納得するまで修正を加えてから発表したと言われています。

シューマン 1810‐1856

ドイツの作曲家。芸術的素養に恵まれた両親の間にツウィッカウで生まれる。早くから音楽の天分をみせる一方、文学にも熱中し、ジャン・パウルを愛読。ライプチヒ大学とハイデルベルク大学で法律を学ぶが、学業を半ばで打ち切り、のちの妻クララ Clara の父 F. ウィークについてピアノを本格的に学んだ。右手を痛めてピアノ奏者への道を断念し、作曲に専心。(謝肉祭)(1835年)、(子どもの情景)(1838年)、(クライスレリアーナ)(幻想曲)(ともに1838年)など、ドイツ・ロマン派のピアノ音楽の精華が相次いで誕生した。
1834年に雑誌(音楽新報)を創刊し、ショパンやブラームスらの新しい音楽のために健筆を振るう。1840年クララと結婚、その幸福の中で歌曲集(詩人の恋)(リーダークライス)2巻、(女の愛と生涯)(いずれも1840年)などを一気に仕上げた。その後、合唱団、管弦楽団の指揮なども務めたが、神経障害が高じ1854年ライン川に投身、エンデニヒの精神病院で2年後に死去した。こまやかな感情を詩的に表現したロマン派の旗手で、作品にはピアノ曲と歌曲のほか、4つの交響曲(1841年、1845年-1846年、1850年、1841年-1851年)、(ピアノ協奏曲)(1841年-1845年)、(チェロ協奏曲)(1850年)、(ゲーテのファウストからの情景)(1844年-1853年)、数多くの室内楽曲などがある。
(ミサ・サクラ・ハ短調)(1852年-1853年、初演1861年)などの晩年の宗教音楽も、近年再評価の声が高い。妻クララ・シューマン〔1819-1896〕は19世紀を代表する女性ピアノ奏者として知られ、作曲家としてもピアノ曲、歌曲などを残した。関連シューベルト/関連ヨアヒム/関連リート

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