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聖徳太子

聖徳太子(厩戸皇子)。昭和世代の方には"昔の一万円札"でおなじみですね。"和を以て貴しとなす""日出づる処の天子"など、歴史に遺る言葉や逸話の多いスター政治家、聖徳太子。その生涯には諸説あり、いまだ謎多き人物です。

時の有力者蘇我氏の一族として生まれ、日本初の摂政となる

"冠位十二階""憲法十七条"の制定と遣隋使派遣

摂政就任後に進めた改革によって、国家としての基礎づくりに貢献しました。特に"冠位十二階"と"憲法十七条"は政治体制の組織化のため大いに役立ったと自負しています。また、遣隋使派遣を通して中国との間に交流を深め、最新の学問を積極的に取り入れました。
さらに、蘇我氏と共に仏教を広めたのも私の功績のひとつだと思っています。法隆寺や四天王寺など7つの寺を建立し、仏典の注釈書も著しました。また、仏教における"慈悲の心"の実践として、貧しい人のための薬局や病院、"悲田院"と呼ばれる社会福祉施設などを設けました。

産まれた直後に"南無阿弥陀仏"と唱えた、何人もの話を同時に聞けたなど、超人的なエピソードもある聖徳太子。その実態は蘇我氏全盛時代に活躍した、有能な政治家です。太子の死後、蘇我氏の専横がはなはだしくなり、それが大化の改新へとつながるのですが、太子の生前は蘇我氏もそのような行動を起こさなかったあたりに、聖徳太子の存在が大きかったことも感じられます。
なお、彼の作った悲田院は、我が国における収容型施設の先駆けとされているなど、歴史的に見ても先進的な政治・行政センスを持っていた人物でした。

聖徳太子 574?‐622

飛鳥(あすか)時代の中心的政治家、思想家。父は用明天皇、母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。幼名は厩戸豊聡耳(うまやどのとよとみみ)皇子。のち上宮(じょうぐう)王ともいう。592年に即位した推古天皇の摂政として仏教を基調とした政治を行った。603年冠位十二階を定め、翌年には十七条憲法を制定した。607年小野妹子(いもこ)を派遣し隋(ずい)との対等の国交を開き、留学生・留学僧を送って大陸文化の導入に努めた。
仏教に対しては深い理解と信仰を示し、その著作とされる(三経義疏(さんぎょうぎしょ))には独自の解釈がうかがわれ、法隆寺・四天王(してんのう)寺・中宮寺・橘寺・広隆寺・法起(ほっき)寺・妙安寺の7寺を建立したといわれる。墓は磯長(しなが)谷(大阪府太子町)の叡福(えいふく)寺の伽藍北側にあり、叡福寺北古墳ともよばれる。叡福寺は推古天皇が太子の墓を守護追福するため坊舎を営んだことに始まると伝え、724年聖武天皇の勅願によって広大な伽藍が建立されたという。なお同寺は磯長寺・御廟(ごびょう)寺ともよばれ、大阪府八尾市の下太子大聖勝軍(しものたいしたいせいしょうぐん)寺、同羽曵野(はびきの)市の中太子野中(なかのたいしやちゅう)寺とともに上太子(かみのたいし)と並称される。関連 遣隋使/関連 上宮聖徳太子伝補闕記

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