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新島八重

現在の同志社大学の創立者・新島襄の妻として知られ、"幕末のジャンヌ・ダルク"とも呼ばれる新島八重をピックアップ。現代でもその人気は顕在で、数年前には大河ドラマの題材にもなった彼女の半生

戊辰戦争で男装して戦い、維新後は京都で女学校の教員として活躍する

子どものころに、尊敬する兄から射撃や砲術を教えてもらいました。戊辰戦争の折には、砲術に詳しいということで、藩主の前で敵方の新型四斤砲の不発弾を分解し、弾の仕組みを説明したりもしました。
明治維新後に教師として働いた経験を活かし、夫が同志社英学校(現・同志社大学)を設立した際には、運営について助言することもありました。夫と西洋風の家屋を建てて暮らし、西洋の帽子やハイヒールを身にまとって生活していたため、周囲からの反発もありました。しかし、周りの雑音に惑わされることなく、女性にとっての"新しい世界"が開けることを信じ、邁進しました。

夫の死後は看護師として活躍し"日本のナイチンゲール"の異名も持つ、新島八重。日清戦争の際には、志願して看護師として従軍し、40人の看護師を統率しました。けが人の看護だけでなく、看護師の地位向上にも努め、その功績が認められて"勲七等宝冠章"を受勲しました。これは当時、皇族以外の女性では初めてのことでした。

新島襄 1843‐1890

プロテスタントの教育者。上州安中藩士の家に生まれ、漢学・蘭学を学び、漢訳聖書を読んで感動。欧米文明とその宗教を学んで日本にもたらそうと1864年脱藩渡米、キリスト教に入信し、理学・神学を学んで帰国した。1875年同志社英学校(同志社大学の前身)を創設、キリスト教的自由自治主義の教育で多くの青年を感化した。
とくに、熊本洋学校に学んで同志社に入学した小崎弘道、海老名弾正、徳富蘇峰らは(熊本バンド)として著名。組合教会の指導者としても貢献。

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