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源頼朝

鎌倉幕府の初代征夷大将軍、源頼朝。"武家政権を作った人物"と歴史の授業で習った人も多いと思いますが、現在は平清盛が武家政権を最初に作った人とされています。
弟・源義経をはじめ、多くの同族兄弟を殺した"冷酷な政治家"と評されることもある政治家の半生

流刑の身から全国制覇を成し遂げ、鎌倉に政権を樹立する

守護地頭制度によって軍事・警察・土地支配権を握り、鎌倉の地に朝廷から半ば独立した政権を樹立しました。武家政権を代表する地位が"征夷大将軍"でであるという慣習、源氏がその地位に就かねばならないという観念、将軍のみが隔絶した高貴な身分として、幕臣に君臨する習慣を後世に残しました。
さらに、全国を平定するため、独立心が強い関東の東国武士団を"御家人"としてひとつにまとめ上げました。同族団結以外に大きな一つの組織に結集しなかった東国武士団を、結束力ある集団にできたことが全国制覇の要因の一つだと考えています。

1192年に鎌倉幕府を開いたとされていた源頼朝。しかし近年、歴史研究が進み、鎌倉幕府の成立年は1192年ではなく1185年という見解が有力視されています。またそもそも"鎌倉幕府"という概念が登場したのは、明治20年以降だという説もあります。鎌倉幕府の創設者である源頼朝に対する評価も、諸説入り乱れており、いまだ定まっていません。評価はともあれ、源頼朝が征夷大将軍に就いたのは事実。

源頼朝 1147‐1199

鎌倉幕府初代の将軍。義朝の子。平治の乱に敗れて捕らえられ伊豆に配流。20年の流人生活の間に、北条時政の娘政子と結婚した。1180年以仁(もちひと)王の令旨(りょうじ)をうけて平氏討伐の兵をあげたが、石橋山の戦に敗れて安房(あわ)へのがれた。ここで平広常(上総介広常)、千葉常胤(つねたね)らの来援を得て、相模に入り鎌倉に本拠を定めた。1184年弟の範頼・義経を送って源義仲を倒し、さらに1185年平氏を長門壇ノ浦の戦で滅亡させた。
この間義経は後白河法皇に接近、これを忌んだ頼朝は義経を追い、その追捕(ついぶ)を理由に守護・地頭の設置を勅許され、幕府開設の基礎を固めた。1192年征夷(せいい)大将軍。頼朝は武士の統率、朝廷との折衝に卓越した政治力をみせたが、その統制の厳格さと独裁的な傾向に加えて、義経・範頼以下一族の諸将を殺したことは、やがて幕府内部の抗争となって現れ、彼の死後20年にして源家は滅んだ。関連 北条氏/関連 源義経/関連 奥州征伐

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