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吉田茂

戦後復興の立役者、戦後日本最強の宰相との呼び声も高い、吉田茂。日本でただ一人、通算5回も首相に選ばれている大政治家ですが、その前半生はエリート街道から外れた変わり種の外交官でした。現代日本の土台を築いた気骨ある政治家の半生

学校を転々としたのち外交官の道を歩み始める

中国での外交官活動と対英米戦反対の姿勢

学生時代の成績は中ぐらいで、外交官試験も11人中7番目での合格だったため、外務省ではロンドン・パリ・ワシントン・ニューヨークなどの欧米諸国勤務という、外交官のエリートコースではなく、中国勤務が中心でした。安東領事時代、対華21カ条要求にただ一人強硬に反対したおかげで、本省へ呼び戻され、資料整理の仕事に回されましたが、筋の通らないことは嫌いな性格で、自分が信じた意見は変えない一貫性が私の長所だと考えています。
太平洋戦争開戦後、和平工作に従事するも、憲兵隊に拘束され終戦まで独房生活を余儀なくされましたが、この時の投獄が幸いしたのか戦後は公職追放処分を受けずに済み、後に内閣総理大臣を務めることになりました。

終戦後の1945年、外務大臣、貴族院議員となった吉田茂。翌年には内閣総理大臣に就任しました。サンフランシスコ平和条約を締結させ、戦後日本の向かうべき方向を最初に示した人物です。日米安全保障条約の締結に当たっては、すべてを自分一人の責任で引き受けるため、たった一人で条約に署名した気骨ある人柄で知られていました。
また"吉田学校"とも呼ばれる集団を作り、そこで佐藤栄作、池田勇人、田中角栄といった後輩たちを一流の政治家に育てあげました。まさに現代日本を作り上げた最大の功労者ですが、本人は首相にも外交官にも自らなりたかったわけではないといいます。時代が彼のような個性派政治家を求めていたのでしょう。

吉田茂 1878‐1967

政治家。竹内綱の五男。吉田健三の養子となる。牧野伸顕(のぶあき)の女婿。東大卒。外務省に入り、奉天総領事、駐伊・駐英大使を歴任。親英米派として軍部から排斥される。1946年組閣工作中に公職追放となった鳩山一郎に代わって組閣。以後一時期を除き1954年まで政権を独占した(首相在籍日数は第2次大戦後、佐藤栄作についで第2位)。
占領軍の指導の下、戦後日本の立直しを遂行し、単独講和(サンフランシスコ講和条約)を行い日米安保体制の基本線を敷いた。引退後も池田勇人・佐藤栄作ら(吉田学校)出身の官僚政治家の陰で大御所的存在であった。国葬。関連 吉田茂内閣

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