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石原裕次郎

昭和の大スター、石原裕次郎。俳優、そして歌手として、昭和30年代から40年代前半にかけて大活躍。のちに、自ら芸能プロダクションを設立して、映画やテレビドラマの制作でも功績を残しました。昭和を代表するスターの生涯

兄の執筆した本が原作の映画の撮影現場で見出され、スターダムを駆け上る

石原プロを設立し映画の制作に乗り出すも、5社協定によってつまづく

俳優としてデビュー後、あっという間に、スターへの道を駆け上がりました。大学を中退した後の3年間は、映画だけで年間10本に出演。当時の俳優は制作会社の専属で、今とは違い映画会社の社員として雇用されていました。
自分のプロダクションを設立した後は"スターを貸さない、借りない、引き抜かない"という、大手映画会社5社で結ばれた通称"5社協定"によって、俳優や機材が集まらないという苦労をしましたが、志ある多くの人に協力していただき、映画を完成させることができました。"黒部の太陽"は映画自体も成功作でしたが、それ以上に"5社協定"を打ち破った作品としても知られています。
私の映画にかける情熱と、普段から礼を重んじてきた結果が、このように実を結んだと自負しています。

若くして大スターとなった石原裕次郎ですが、おごり高ぶることもなく、上下の分け隔てをせず、あいさつの時は立ち上がり、握手をするという礼儀正しさでよく知られていました。
困っていることがあると自ら率先して動くタイプであり"人の悪口は絶対に口にするな、人にしてあげたことはすぐ忘れろ、人にして貰ったことは生涯忘れるな"がポリシーでした。

石原裕次郎 1934‐1987

映画俳優、歌手。兵庫県生れ。慶応義塾大中退。1956年に兄石原慎太郎原作の日活映画(太陽の季節)でデビュー、以後(俺は待ってるぜ)(嵐を呼ぶ男)(ともに1957年)、(銀座の恋の物語)(1962年)、(赤いハンカチ)(1964年)などでアクション・スター、青春スター、また歌手として活躍。
1963年石原プロモーションを設立し、(黒部の太陽)(1968年)などを世に送り、後年はテレビドラマで活躍した。

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